ピティー・ミー(私をかわいそうに思ってよ)

原作を上回る映画はなし、が持論の私ですが、またそれを上書きするような作品が。

 

思い出のマーニー、先だっては映画の感想をアップさせていただきました。

参考エントリー:思い出のマーニー〜親のない子はいない

 

原作は、こんなボリュームなんですよ!

これだけのボリュームのものを103分に押し込めたなら、そらー割愛されるエピソードもあって当たり前ですが。

 

が。

 

これははぶいたらあかんやろ!というものがありました。

 

以下引用=========================

アンナは、ボートのへりをぴちゃぴちゃとやさしくなめるように洗っている水の音に、じっと耳をすましていました。そして、ここにあるボートはみんな、だれのものだろうと思いました。

 

よっぽどめぐまれた人たちのなんだ。毎年毎年、お休みになると、このリトル・オーバートンへ来られるような家族たち‥‥‥。ただ、じゃまにならないようにとか、なんにも”やってみようともしない”からとか、この先、”どうあつかえばいいかわからない”からとかいう理由でここへ来させられたりするのではない、幸せな人たち‥‥‥。たとえば、さっきの、ブルーのジーンズとセーターを着ていた子どもたちのような。

 

アンナは、水ぎわまで歩いて行って、くつとソックスをぬぎました。そして、水に入って、しめっ地のむこうをながめました。日があたって金色にかがやいている砂丘のなだらかな線が空と陸とをくぎり、その両側に、青い海がすじになって見えていました。小さな鳥が一羽、入江の上をとんでいました。鳥はアンナの頭すれすれにとんで、みじかい、もの悲しい声で鳴きました。4、5回つづきの、同じような調子の声で、それは、

 

”ピティー ミー!オー、ピティー ミー!”(あたしをかわいそうだと思ってよ、思ってよ)とでもいっているようにきこえました。

引用終わり

 

アンナは自分がかわいそうなのです。

 

かわいそうな私

 

かわいそうなアンナ

 

私ってばかわいそうじゃん!!

これがほんとのとこ

 

なによ、なんで私がこんな目にあわなきゃいけないのよ、なんでこんな扱いされなきゃいけないのよ、私ってかわいそうじゃん!!

自分で自分をかわいそうと思うくらいにアンナは辛いのに、辛いという気持ちを出すこともできなければ、当然誰もアンナの辛さをわかってくれません。

 

言葉が通じぬ鳥に、その辛さをわかってよ、と思うくらいに。

 

親と引き裂かれ、保護してくれる存在を持てず、安らぐ居場所のない子、かわいそうでしょ?

 

もしも目の前にその子がいたら、抱きしめてあげたくなるでしょ?

 

寂しいよね、辛いよね、とヨシヨシしてあげたくなるでしょ?

 

ヨシヨシしてくれる人がいなければ、ヨシヨシして欲しかったのにしてもらえ買ったなら、それは自分でするしかありません。

 

大人のあなたから、ヨシヨシが必要だったちっちゃいちゃんに。

 

当て字かもしれませんが、可哀想は可愛いといわばセットです。

 

可愛いは、愛される可(べ)し。愛されて当然の存在です。可愛い、というのは、愛しているよ、と同じです。

 

では、可哀想は?

哀しいのです。相手の痛みを同じように感じてしまって自分の胸も痛むのです。相手を同じ感情を抱くから「同情」なのです。同情の本来の意味は、決して上から相手を憐れむことではありません。

 

あなたの痛み、私も同じように感じて辛い、痛い。あなたと同じように辛い。

 

それが「かわいそう」です。

 

アンナは自分の痛みを誰もわかってくれないから、せめて鳥にでもわかってもらいたかったのです。あなた、かわいそうね、と鳥に言って欲しかったのです。

 

ピティー ミー(pity me)

 

これは、日本語にはしにくかったかもしれませんね。私(me)をかわいそうがってよ(pity)

 

ほんとに辛いとき、自分で辛いと言えないとき、それを他者に求めるのですね、私のことかわいそうだと思ってよ。

pity me

 

辛いよね、自分で辛いと言えないくらい辛いよね

 

あなたが辛い思いをしていると、私も辛い

 

かわいそう

 

ヨシヨシ

 

思い出のアーニー 〜 親のない子はいない

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